いつもそばに [雑感]


さっき携帯の日付を見てハッとしました。
今日は父の命日だったのです。
もうここ何年もうっかり続きで、当日気づいたのは久しぶりのことでした。

あんなに父のことが大好きだったのに・・・と
こんなにもアッサリしている自分のことを不思議に思いますが
話したいと思った時には心の中で話しかけているので
命日にあまり大きな意味を感じなくなっていることも確かです。
形式にこだわらない私の性質がこういうところにも出ているように思います。

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父が亡くなった年の初夏、両親が私の生まれ育った街を離れ
二人の出身地へと引っ越して行ったのですが
夏休みに入り、仮住まいのアパートに息子二人を連れて妹と遊びに行くと
あれ?と不思議に思うことがあったのです。

帰り際、いつもは玄関にさえも見送りに来ないアッサリとした父が
駅まで一緒に来て、更にホームの中にまで入って来ました。
そして、いよいよお別れという段になると
電車のドアすれすれまで寄ってきて見送ってくれました。
ドアが閉まり電車が走り出すと、名残惜しそうな様子を見せていて
それはちっとも父らしい態度ではありませんでしたので
普段とあまりにも違う様子に変な胸騒ぎをおぼえ、何とも言えない淋しさを感じました。

すると10日程経った後、急に父が入院したという連絡が入ったので
父がこの世を去ることになるだろうという予感がしました。
もう父はこの人生に幕を下ろすことに決めたのだと感じたのです。
そして予感は当たり、その一週間後に亡くなったのでした。

身体の不調を既にあのお別れの時に感じていたのかどうか
それはもう今となっては分かりませんが・・・
多分本人も第6感的な感覚で ”これで最後になるかもしれない”と
感じていたのではないか?と思います。
あの日のホームでの見送りは、無意識に私達にお別れをした姿だったのだと
後になって思いました。

あれから17年の時が経ち
もうこの世とかあの世とかそういう隔たりも感じなくなってしまいました。
亡くなった直後は夢に出てきて欲しいと願ったり
心霊現象でもなんでもいいから会いたいと強く思っていたものですが
私にはそういうセンスは全く無く
夢の中でさえ、会えたことは片手で足りるほどの数しかありません。
それでも、いつでも私が父に語りかける時はそばに居てくれると感じます。

今夜も父と色々語りながら(独り言みたいなものですが)
眠りに就こうかと思っています。
そうしたら夢に出て来てくれるかな?とちょっと期待してみます(*^^*)

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