舞台と観客 [やまとうた]
愛犬とテトテト歩く夕暮れの散歩仲間に加わる蝉の音
涼風に吹かれ目を閉じただ感ず圧倒的な生命(いのち)の輝き
蝉たちの晴れの舞台の観客となりし我にはたと気づき
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夏のお散歩はものすごく早い時間か
暗くなりかけの時間かのどちらかになるのですが
夕方の場合 いつもの公園に一歩足を踏み入れた途端
あ、境界線がここに・・・!と感じます。
なぜなら
道路脇の歩道から公園の敷地に足を踏み入れると
聞こえてくる音が一変し
凄まじいほどの蝉時雨があちらこちらからやって来て
あっと言う間に私達を包み込んでしまうからです。
己が命の儚さを知ってか知らずか
”今を生きること” に夢中になっている蝉たちの競演は
何か胸に迫り来るものがあります。
いつもの芝生でお馴染みの樹に挨拶をし
背を幹につけて身体を預けると
たちまち圧倒的な生命の営みに飲み込まれ
大音量の中にあって意識が遠のいていくような感覚を覚えます。
そしてここで繰り広げられているのは蝉たちの渾身の舞台であり
私はその観客なのだと気づかされ ハッとするのです。
ここに居ながらにしてここには居ない
そんなぼんやりとした感覚の中を揺蕩いながら
全身全霊で奏でられる音に耳を澄ましていると
桜の樹もまた舞台の場を提供していることに喜びを感じているのだと伝えて来ます。
もう周りが見えなくなりかけていると言うのに
蝉も樹も自分も
全てが一つになってしまったような感覚に包まれて
それがあまりにも気持よいので
いつまでもそこに居続けたいと思ってしまうのです。