どっちつかず [気づき]

ある日無性にポテトチップスが食べたくなった時
食べたいと思った瞬間にその気持を瞬殺しようとする自分を見つけた。

ダメダメ だってカロリー高いでしょ?
最近あまり動いてなくて太ってきたのを気にしてるのに食べるの?

こんな声が心の中から聞こえてくる。
そして次に葛藤が始まる

だけどすごく食べたいし…う~んどうしよう?
ちょっとだけにしておく?

こうしてグダグダと考えた挙句
結局どうしたのかと言えば? 食べた[ダッシュ(走り出すさま)]
あ~あ、食べちゃった と心の中で思いながら・・・

せっかく食べたかったものを食べたのに 全然嬉しくなかった。
それでハッ!とした
食べる行為から楽しむ気持を差し引いたら一体何が残るというのか?

食べると決めたなら100%楽しみ味わう
そうでないなら食べない

これくらいの潔さがないと せっかくの行為が無になってしまう。
カロリーが気になるなら 後で動けばよいだけのことではないか。
どうして自分で出来るフォローをカットするために
”今からしようと思っていること” を純粋に楽しむ心を抑え込もうとするのか?

どっちつかずの気持はどっちつかずの結果を招き
結局私はどこへもたどり着けない。
どう在りたいのかを決めるのは私自身なのだから・・・ 

したいと思ったことに100%の思いで臨む

それが ”今この瞬間を生きる” ということであり
自分の本当の気持を大切に扱うことにもなるのだ という事が腑に落ちた。

nice!(3)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

満月 [気づき]

今日は満月
満月はもう自分にとって必要なくなったものを手放すのに良い日だそうです。

だからなのかどうかは分かりませんが
”手放す”ということについて
ちょっと考えさせられる出来事がありました。

15年以上も頑張ってくれている我が家のブラウン管TVが
数年前からモニターとしての役割しかしてくれなくなり
モニターの役割さえもそろそろ危なげなのです。

私たちはTV番組をほとんど見ないのですが
録画した映画などを見るためにTVは必要なので
少し前から時間を見つけて電機店を回っています。
TVを新調したら台も必要になってくるので今日は家具店も見てみました。
すると トータルコーディネートされた家具が置かれた店内で
突如 本当に自分が心地良いと感じる空間で生活したい!
という思いが湧きあがって来たのです。

私は自分の家が大好きです。
ですが、今まで住んできたいくつかの部屋に合わせて買い足して来た家具が
バラバラな印象を与えていることは否めないのです。
この上TV台を置くとなると…選択がとても難しいです。

近頃色々な方がおっしゃっている
”本当に気に入っているものだけが置かれた空間に身を置く”という考え方は
思っていた以上に大切なことなのではないか?と
この時理解のスイッチがパチンと入った音が聞こえた気がしました。
そういう場に自分が居ることを想像したら
とたんにワクワクして心が喜びに満たされたからです。

日々の生活の中で私たちは相当沢山の事を感じているはずですが
小さなことに対して一々丁寧に感じることなく受け流して生活しているので
本当の気持(願い)は意識に上ってくる前に埋もれさせているのですね…
そんな風に生きてきた自分に今日は家具を見ながら気づかされました。(笑)
現状維持以外の可能性を考えてみることやワクワクする気持を忘れていたなと。

もしも自分の本当の気持と繋がって生きることが出来たなら
身の回りに置くものも人間関係も 本当の自分を映し出すものだけになり
自ずと余分なものは持たなくなるのでしょう。

全てをいっぺんにどうにかしようと思ったら
お金がいくらあっても足りない・労力をかけるのが面倒だ等
色々と言い訳をしたくなってくると思うので
今可能なことであり 尚且つ楽しみながらできる範囲で
自分の本心を生活に反映すべく何ができるか早速考え行動に移します[手(グー)] 


*****今日の出来事を受けて… 満月の日の自分への宣言*****


私は現状維持に使っていたエネルギーを創造的な活動に使います。
自分の本心を聞き、本当の自分を映し出さないものは感謝して手放します。

DSCF2626_2.jpg
上手く撮影できませんでしたが… 昨夜のお月様、とても綺麗でした。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

ちゃんと感じてみると・・・ [気づき]

自分をそのまま受け入れようと決めてから
意識していることがある。
それは、感情を無視しないことだ。

怒りの感情については特に意識してしっかりと感じるようにしている。
私はずっと自分自身に対して怒っていたのだと気づいたからだ。

小さなことでムッとする自分を恥ずかしいと思っていたから
ちょっとしたことでカチンとくると
こんなことで怒るのは大人げないとすぐにその気持を押し込めていた。

人と自分の考えが合わない時
面倒なことになるのを避けるために
よほどのことでない限り相手に合わせていた。
そんなことを長い間続けてきたために
自分自身をカンカンに怒らせてしまったのだ。


先日またカチンと来る出来事があった。
よーし今度は真正面から向き合ってみるぞ!と
どうしてそんなに嫌な気持ちになっているのか自分に聞いてみた。

すると
相手が自分をきちんと扱ってくれていない
自分にはその価値がないと思われているのかもしれない
そう感じて腹をたてていたことが分かった。

「そうだったんだね。それは嫌だよね?」
「いいんだよ、怒ったって」

まずは自分の気持をそのまま受け止めてみた。
相手にも何か事情があるのかもしれない。
でも、それは今の私には分からないことであり
それを考慮に入れて自分の気持を押し込めることはもうしたくなかった。

するとだんだん気持が落ち着いて来た。
そこで ”この出来事が教えてくれていることは何だろう?” と考えてみると
以下の質問が自分の中から出て来た。

・あなたは自分自身をどう扱っていますか?
 きちんと扱っていますか?

・その人があなたのことをちゃんと扱ってくれないと感じても
 その人の態度に関係なく、あなたは自分の価値を認められますか?

そうか…  
私が私をどれだけ受け入れているか
どれくらい大切に扱っているか
それを確認する機会だったんだ。
私自身が自分をきちんと扱っていなかったのだと気づかされた。
そういう視点に立った時、心に静寂が訪れた。

自分の価値を周り人の態度で決めないこと
もっともっと意識して自分の本当の気持を感じよう

このように再確認し
その出来事が起きた意味を理解した夜
腹を立てていた相手から連絡が入り
あっさりと怒りの原因は消えてしまった。
もう私の心を刺激するメッセンジャーである必要がなくなったからだろう。
(もちろんその方がそう自覚していたわけではないけれども…)

外側の世界で起きることは
私の内側の状態を見せてくれているだけだということ
そして、もしそれが好ましい状態でないならば
自分の在り方を新たに選択する機会が与えられているのだということを
体験を持って実感した出来事だった。

nice!(1)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。