Fly freely [わたしのこと]
心の翼を大きく広げ
ふわりと風に乗ってみたい
いつもと違うところから
世界をゆっくり眺めてみたい
きっと素敵なものが見えてくる
新しい風が吹いてくる
ご無沙汰しておりましたm(_ _)m
先週の初めに急に決まった旅の準備等に追われ
バタバタになってそのまま出かけてしまったので
お知らせも出来ぬままにしばらく放置してしまいました。
その間ご来訪下さった皆様にはご心配をおかけしてしてしまったかもしれません。
申し訳ありませんでした。
お陰様で私は元気にしております。
二年ぶりにロシア人の友人と京都で再会し、少し日常生活から離れておりました。
いつもと全く違う生活空間・パターン・景色の中に身を置くことにより
少し違った角度から物事を見たり感じたりと
良い意味での刺激を沢山受け、昨夜帰宅いたしました。
今日一日かけて自分のコンディションと家庭環境を整えたので
明日からはいつも通りのペースで生活出来そうです。
しばらく皆様の所へもお伺いできなかったので
その間どんな記事がUPされていたのか楽しみにしています(^^)
呼吸を合わせ 心を合わせ [雑感]
風が強かったある日
いつものように大好きな樹に会いに行った
左手を幹に置いて話しかける
「こんにちは!今日は風が強いですね。 私に何かメッセージはありますか?」
すると ”呼吸を合せる” という言葉が心にぽっかりと浮かんできた
立ったまま幹に背中をつける
大木が幹ごと揺れている
まるで地震でも起きているかのようだ
幹と一緒に私の身体も
ゆうら ゆうらと揺れていた
海で浮き輪に身を任せ
波に揺られている時の感覚に似ている
思考は止まり
目に映っているものがただ通過してゆく
少し離れた所で走る車・鳥・ 風に揺られる枝葉
動いているものが視界に入って来ても
時が止まっているような錯覚を覚えた
ゆうら ゆうらと揺れる身体を感じながら
ああ、これが ”呼吸を合わせる” ということか
心地良いものだなと感じていた
心地良い風がそよそよと吹いていたある日
今度は友人と一緒に樹に会いに行った
左手を幹に置いて話しかける
「こんにちは! 今日は友達と一緒に来ました。
しばらくここで過ごさせてもらいますね」
樹の下にシートを敷いて寝転ぶ
背中に感じる土の感触が心地良い
そよ風に吹かれて枝葉が揺れ
太陽の光が顔の上でチラチラと光っていた
枝葉の繊細な動きと若草色の葉に出来た影が自在に変化する様を
いつまでも飽きずに眺めていた私達のことを
水色の空も優しいまなざしで見つめていた
時折目を閉じ
木の葉の歌や小鳥のさえずりに耳を傾けて
真上を向いたまま
ぽつりぽつりと思い思いに話して過ごしたあの日
私は言葉を発しても発しなくてもどちらでもいいような気がしていた
同じ空間で
それぞれが心地よいと感じる瞬間を味わっている
ただそれだけで満足だった
極端に言葉が少なくなっている自分を意識しながら
これは ”心を合わせる”ということか
こちらもまた心地の良いものだなと感じていた
センサー [ひとりごと]
Mother's Day [幸せの種]
something special [心に響いた言葉]
だれかが、なん百万もの星のどれかに咲いている、たった一輪の花が好きだったら
その人は、そのたくさんの星をながめるだけで、しあわせになれるんだ。
そして、<ぼくの好きな花がどこかにある>と思っているんだ。
それで、ヒツジが花をくうのは、
その人の星という星が消えてなくなるようなものなんだけど、
それもきみはたいしたことないっていうんだ。
サン=テグジュペリ作 『星の王子さま』より
ずっとずっと昔のことです。
たしか小学4年生くらいだったと思います。
友達が手に入れたばかりの『星の王子さま』の本を見せてくれました。
美しい挿絵が入ったハードカバーの箱入り本で
本の美しさに心を掴まれてしまった私は早速本屋さんに向かい
お小遣いで買えるソフトカバーの岩波少年文庫を買い求めました。
でも、まだその頃はお話の内容はよく分かりませんでした。
不思議なお話だなくらいに思っていたのです。
ようやくこの童話の素晴らしさに気づいたのは中学校を卒業する頃でした。
「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。
かんじんなことは、目に見えないんだよ」
キツネが王子さまに話して聞かせた
誰かにとって ”特別な何か” になることについてと上記の言葉が
その時の私の心を大きく動かしました。
そして、あの時感じた気持は今も心の奥に大切にしまわれています。
かつてのわたしへの言葉 [in a dream]
2~3歳の子供を2日連続で預かっていた。
私が身を置いている場所は大所帯で
共に住まう人達はどうやら自分の家族ではなさそうだ。
子供を預かったと言っても私自身がという訳ではなく
私が身を置いている場所が・・という事らしく
別段その子のお世話をする必要があったわけではなく
こちらにいる子供達と好きに遊んでいる様子を遠くから見ているような感じであった。
2日目、どこかへ向かう道の途中でその子の家のおばあちゃんと会ったので挨拶をすると
「昨日は帰宅があまりにも遅すぎた(23時を回っていたらしい)ので
今日はもう少し早く帰宅させて下さい」と頼まれた。
「ええ、もちろんです」と約束し、別れたのだが
用事を済ませて帰ると何やら面倒なことが起きていて
みながその対応で手一杯になり、私もすっかりおばあちゃんとの約束を忘れていた。
そしてふと気づくと時間は23時を少し回ったところだった。
冷や汗が背中を伝った。あれだけ約束したのに・・・
こんなに大切な約束をどうして今まで忘れていたのだろうか?と自分を責めた。
怒っているだろうな・・・約束を守れない人だと思われているだろうな
どうしよう?なんて説明すればいいのだろう?と高速回転している頭で考えたが
いや、もう弁解のしようがないと諦める。
実際に約束が守れなかったのだからまっすぐな気持で謝るしかないのだ。
そう腹を据えて子供を連れてその家の呼び鈴を押した。
出て来たのはおばあちゃんではなくその子の母親だった。
足早に私のもとへやってきて乱暴に子供を自分の元へ引き取った。
そしてふと我に返り、子供への申し訳なさから泣いてしまった。
ああ・・・まずい 私のせいだと思った。
彼女の気持が痛い程伝わって来たからだ。
彼女が怒りの矛先を向けたいのは私なのにそれが出来ず
怒りに任せて子供を乱雑に扱ってしまったことを悔いているのだと。
「どうか自分を責めないで下さい。
毎日一生懸命に生き 子育てだって真剣そのものじゃありませんか」
気づけば私も泣いていた。
そして、思わずこんな言葉が口をついて出ていた。
本当は第一に謝罪するべきなのに・・・
そう思う一方でこの場に不適切なこの言葉は
かつての自分にあてたエールなのだと気づいてもいた。
合わせ鏡のように見せられた彼女の姿を通してかつての自分を見つめていたのだった。
普段意識上に上ってくることはあまり無くなっていたが
子供達が自分を求めていた時に充分に応えてあげられなかった事への後悔や
自分のとった行動・言動に対しての怒り等
子育てにまつわる罪悪感が自分の中に色濃く残っていることも同時に分かってしまった。
そのこと気づいた途端、そういった感情を真正面から見つめ
そうせざるを得なかったその時の自分を理解し、許してあげたいという気持に包まれた。
ずっとそこに縛られ続けていた自分の一部を自由にしてあげる機会が
とうとうやってきたのだと感じたからだ。
そして後悔ばかりの出来事から学ぶべきこと学び、感謝して次に生かしたいと思っていた。
人間だからまた同じ過ちを繰り返すかもしれないが、その時は前より早く気づけるだろう
気づいたらそこからまた軌道修正すればいいのだと。
だからもう怖がる必要はない。
無意識に見ないことにしてきたものと対峙し、光を当て
その時の自分も充分頑張っていたのだという事を理解したい
そうしてどこかに置き去りにしたままだった私の一部を今の私と統合させたいと
目覚めたばかりのボンヤリした頭で考えていた。