ちいさなわたしの読書体験 [本]


福音館書店Web Siteのコンテンツ”ふくふく本棚”で
今月の新刊エッセイを読みました。

「コーナーキックを蹴る」
http://www.fukuinkan.co.jp/blog/detail/?id=73

寄稿者は小沢健二さん。
今まで彼のミュージシャンの顔しか知らなかった私は
同姓同名の別人かと思って読み始めましたが、やはりあの小沢さんでした。(笑)
以下、少しだけエッセイの本文から転載します。

『まだ文を読まない年齢の子どもから見て、世の中はどんな風だろうと、大人は誰しも思う。
子供は、大人の聞く音楽を聞いている。あるいは、大人の見るテレビを見ている。
つまり、絵や音は、子どもたちに向かって開いている。
しかし、文字というやつは、子どもたちに向かって閉じている。
だから大人の本は、子どもたちに向かって閉じられている。
それどころか、子ども向けの本さえ、実は子どもたちに向かって閉じられている。
そのために子どもは、「これ、読んで!」と、閉じられた本の鍵を大人に開けてもらう必要があるのだ。』

♫*:..。♡*゚¨゚゚・ ♫*:..。♡*゚¨゚゚・ ♫*:..。♡*゚¨゚゚・ ♫*:..。♡*゚¨゚゚・ ♫*:..。♡*゚¨゚゚・

覚えていないだけかもしれませんが
私は親に読み聞かせをしてもらった記憶がありません。
その反面、保育園では沢山絵本も本も紙芝居も読んでもらったので
その記憶はとても鮮明に残っています。
本の細かい内容はまでは覚えていなくても
紙芝居や本を読んでもらった部屋の匂い
光の加減、自分や周りの園児たちの様子
そして、お気に入りの物語を読んでもらった時に感じた気持だけは
今でもハッキリと思い出せるのです。

沢山読んでもらった本の中で特に好きだったのは
松谷みよ子さんの「ちいさいモモちゃん」のシリーズでした。
先生の語りに想いがこもっていたのでしょうね
モモちゃんの日常がちいさな私の心にはとても魅力的に映りました。

それに、絵本ではなく文字が読める子供用の本だったので
先生が読み聞かせてくれなければ
4~5歳でモモちゃんの物語に出会うことはなかったでしょう。

あの頃読んでもらった本の中には沢山のお気に入りがあり
大人になってからかなりの時間が経過した今の私にとっても
その価値は全く変わりません。
お話に夢中になって耳を傾けていた当時の自分に思いを馳せると
今でも楽しい気持になるのです。
よくぞ素敵なお話を選んで読み聞かせて下さったと
先生に感謝の気持が湧いて来ます。

抜粋しなかったエッセイの続きの部分には
『子供の本の読者は大人です』と書いてあったのですが
本当にその通りだと思いました。
子供の周りにいる大人がどんな本を選び
それらをどう感じ、どのように分かち合うかによって
子供達の読書体験は大きく変わっていくということが
自分の体験を通して理解できるからです。

小沢さんの視点に触れたことによって書きたくなった読書体験については
まだ書きたいことがあるので続きはまたいつかと思っています。

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きりこについて [本]


きりこは、ぶすである。

 ~きりこについて / 西加奈子著~

*.....*.....*.....*.....*.....*.....*.....*.....*.....*....

この本の書き出しは衝撃的だった。
それからその後しばらく続くきりこの容姿の描写
きりこのことを初めて見た大人達の驚きと心の中の声
そして、この気持を悟られてはいけないと取り繕い
心と裏腹な言葉を発して
自分の子供の心を混乱させてしまう姿・・・

どれもあけすけに書かれていてビックリしてしまう。
私達の身の回りでも起こっている出来事、
だけど皆が必死に隠そうとしていることが
遠慮なく書かれているのだ。

はじめは胸が痛くなってしまった。
~それは自分の中にも人を外見で見ているところが
確かにあると自覚させられる痛みでもあった~

けれども、これまで生きて来た中で
何かが違うのでは?と小さな違和感を抱きつつ
深く追求してこなかった様々な事について
改めて考える機会を与え
心を大きく動かしてくれた物語だった。

*.....*.....*.....*.....*.....*.....*.....*.....*.....*....

大好きな男の子に
「やめてくれや、あんなぶす」と言われた日から
きりこを取り巻く世界が
手のひらを返したように変わってしまう。

パァパやマァマの愛情を一身に受け
自分は自分である
という事実を素直に受け止めていたきりこだった。
彼女が赤ちゃんの頃から二人がずっと言い続けている
「世界一可愛いきりこ」という心からの言葉に加え
周りの大人達が同情の気持から苦し紛れにかける
誉め言葉のシャワーを浴びて育ったきりこは
自分が世界から愛されていることを信じて疑わなかった。

だから状況が一変してしまった時
ぶすとは一体どういう事なのだろう?と本気で悩む。
全く分からないのだ。
そもそも可愛い・醜いの一般的な基準がどこにあるのかさえ
考えたことも無かったのだから・・・

そしてそう言われた途端
人から辛くあたられるようになった理由も分からない。
人が自分以外の人とどう接するかを決める時
外見が判断材料になる事があるなどと露ほども思わず
自分の友達の顔に対しては
”それがその人の顔である”という事実以外に
何の意味も与えていなかったからだ。
それがきりこがきりこたる所以なのである。

”彼女は外見で人の価値を決めない”
そんな陳腐な言葉ではとても片づけることができない。
きりこにとっては自分は自分であり
友達の○○ちゃんは他の誰でもなく○○ちゃんであること
ただそれだけが大切な事実だったのだ。

きりこは(猫達もだが)
自分にとって価値あるものが何かを知っている。
知らないのは何故それが分かるのかという、一点だけなのだ。
ただ、価値あるものが周りの人のそれと違っていたがために
みんなの言っていることが理解できず
苦悩は深まるばかりだった。

*.....*.....*.....*.....*.....*.....*.....*.....*.....*....

パァパとマァマに加えて
きりこが楽しかった時も辛かった時も
ずっとそばに居て支えていたのが黒猫のラムセス二世だ。

ラムセス二世はいつだってきりこそのものを見て愛していた。
そして、きりこが猫の世界においては大変優れた人間であり
それがどんなに誇らしいことか生き生きと話してきかせた。
~実際町内の猫達はきりこに憧れ、彼女をうっとりと見つめるのだ~

そしてきりこが他の登場人物との繋がり・出来事を通して
再び自分自身を発見し、理解する時が来るまで
余計な事は一切言わずに見守った。

*.....*.....*.....*.....*.....*.....*.....*.....*.....*....

最後にラムセス二世が
人間界の動物にまつわることわざについて
特に”猫”がつくそれらの使われ方について苦言を呈していた。
それはユーモアに満ちた名文だった。

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愛された記憶 [本]


先日、とある場所でワーズワースの詩集と出逢いました。
それは随分と年季の入った文庫本で 
カバーも取り外され、裏表紙には元の持ち主のサインが入っていました。
綺麗な状態とは言い難いので、どうしようかな・・・?と一瞬迷ったのですが
その本には過去の持ち主に愛されていた記憶が留まっているような…
どことなくそんな雰囲気漂っていて 
私を惹きつけるものがあると感じたので買い求めることにしました。

家に帰ってよく見てみると・・・
奥付にも読み終わった日なのか購入した日なのか
ともかく過去の持ち主にとっては意味のある日付とサインが記されていました。
それを見てやはり大切に読み込まれてきた本だったのだと感じ
古本の香りや色焼けした紙面、それから過去に積み重ねて来た時間・・・
そういったものを全て含めて 
この本が醸し出している味わい深い雰囲気に私は心を掴まれていたのだと気づいたのです。

出版年は私が生まれた2年後でした!
初版は更に何十年も遡り、昭和13年となっています。
よくよく考えてみれば、300年以上も前に生きていた人が作った詩を
現代の私達が読んでいることからして不思議なことに思えますが
刷られて何十年も経っている本が捨てられずに現役で役に立ち
新しい持ち主の元に届いているという事が小さな奇跡にも感じられました。
そして、サインを入れた持ち主から私の手元に来るまでに一体どれだけの人の手を介し
どのような出来事を経て今ここに存在しているのだろう?と考えると
更に不思議な気持になるのでした。

訳も随分昔のものなので
普段あまり目にしないような古めかしい表現が所々に使われていますが
そこがまた良いなぁと思うのです。
昔の日本語は美しく、ことばの響きやリズムによって
随分と印象が変わってしまう詩にはぴったりだと思うからです。

その一方で、新しい本ではどのように訳されているのだろう?と気になったりもするので
近々確かめてみたい思っています(^^)

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作家、伊坂幸太郎 [本]


伊坂さんは、私の好きな作家の一人です。
主な作品に『死神の精度』『重力ピエロ』『ゴールデンスランバー』などがあり
いずれも映画化されているので、タイトルは聞いたことがある方が多いと思います。

物語を読んでいると、伊坂さん本人に対する興味が湧きます。
登場人物にこんなことを語らせたりさせたりするこの人はどういう人なのだろう?と…
際立った個性を持つ人が多く描かれていることも魅力の一つです。
そして、ユーモアのセンスも素晴らしいと思います。
思わずクスッと笑ってしまう… そんな笑いが私好みなのです。
登場人物の心の中の想いや発言や行動が面白くて
いつ不意に訪れるか分からない笑いに抵抗する術もなく
ついつい笑ってしまって恥ずかしい思いをするのでとても電車では読めない!
そんな風に思わせてくれる物語と出逢うと嬉しくなります(^m^)

次男に強く勧められて最近読んだのは ”バイバイ、ブラックバード”
久しぶりに伊坂ワールドを堪能しました。


バイバイ、ブラックバード

バイバイ、ブラックバード

  • 作者: 伊坂 幸太郎
  • 出版社/メーカー: 双葉社
  • 発売日: 2010/06/30
  • メディア: 単行本



この物語は
2股どころか5股もかけて女性と付き合っているのに決して不誠実な訳ではなく
外見も個性的ではあるものの、特に整っているという訳でもなく
ただ、どこか人をひきつける雰囲気を醸し出している男、一彦と
桁外れな巨体で態度も大きく
言葉と行動で人を嫌な気持にさせるの趣味みたいな女、繭美
そんな二人が中心になって話が展開していきます。

一彦が繭美に対して思っていることを心の中で呟く場面や
二人の掛け合い、そして繭美が辞書を持ち歩き
人が言った言葉を拾い上げ、一々その言葉の項目を開き
「ほら、私の辞書に○○という言葉はないだろ?」等と言って
自分で塗りつぶしたその文字を見せるところや
それを見た者の様々な反応が面白くて、沢山笑わされてしまいました。

それから、あちらこちらに敷かれていた伏線が
最後には綺麗につながるところも気持良くて好きです。
一つ一つの事柄は些細なことに見えていても
何か一つでも狂ったら違う結果になってしまうんですよね。
それはフィクションの世界の中だけで起こっていることではなく
現実でもそんな風にして物事が出来上がっているということや
意味のないことなど一つもないことを物語の中で思い出させてくれるのです。


先日見た伊坂幸太郎原作の映画
『フィッシュストーリー』もまさにそんな感じでした。
一見偶然に見えることが重なって、とても大きなことに繋がっている…
一つ一つが起きている時にその意味は分からないし
どちらかと言えば、まるで意味のないことのように見えたり失敗に思えたりしている。
でも、大きな目で見たら全てが正しく展開していて
どれもが最終的な結果に繋がる大切なキーになっているのです。
人生の不思議を思わずにはいられませんでした。

コミカルな話やシリアスな話、それから殺伐とした話
色々なタイプの物語を書いている伊坂さんですが
どんな話の中にも、希望に繋がるメッセージが控え目に込められているように感じて
そういうところに一番惹かれているのかもしれません。
絵に描いたような悪人が放置されずに制裁を受ける物語は、読んでいて大変スカッとします。(笑)

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美人の日本語 [本]



美人の日本語 (幻冬舎文庫)

美人の日本語 (幻冬舎文庫)

  • 作者: 山下 景子
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • 発売日: 2008/04
  • メディア: 文庫


数年前に友人から勧められたのですが
頭の片隅にタイトルが記録されたまま、すっかり忘れていました。
ところが先日、図書館で別の本を探していたら
たまたま目に入って来てビックリ・・・?!
これは偶然じゃないのね?と思ったので、借りて来ました(^^)

もともとは、著者が ”使ってみたい言葉” や ”心に残った言葉” を
ノートに書き留めていたものをもとに
メールマガジンとして配信していたものが出版されたようです。

4月1日~3月31日まで365日、日めくり形式になっていて
一つの言葉について 意味・語源・同じ意味を持つ言葉 などが盛り込まれた
言葉にまつわるショートエッセイ集。
著者の心に留まった言葉を集めていたノートからの抜粋と言うだけあって 
心地良く耳に響く美しい日本語が沢山紹介されています♪
文章から伝わって来る山下さんの目線もとてもあたたかくて心地よいです^^


パラパラと一通り見てみたところ、知らない言葉が結構沢山ありました。
例えば、8月の章の中にはこんな言葉が・・・

木下闇(このしたやみ) 木の茂った下が暗いこと

天泣(てんきゅう) お天気雨のこと(遠くの雲から風で流れて来た雨も含む)

狗尾草(えのころぐさ) ねこじゃらしのこと ”犬ころ草”が変化したもの

へぇ~♪そうなんだ~? なんて思いながら、楽しく読み進めています。
短いのでちょっとした時間に気軽に読めるのもこの本の魅力の一つ。
日本語って奥が深くて本当に美しい言葉だなぁと、改めて感じています(*^^*)

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意外性が面白い [本]


図書館で棚を見ていて偶然見つけた本です。
脳科学者の茂木健一郎さんが書かれているという意外性に惹かれました。
そして、何と言っても今まで読んできた数々の本の中で
未だにベスト1の位置をキープし続けている物語である
『赤毛のアン』が題材になっているとくれば興味津々です^^
喜々として借りて帰ったのでした♪


「赤毛のアン」に学ぶ幸福になる方法 (講談社文庫)


茂木さんは小学校5年生の時に『赤毛のアン』と出逢い
すっかり心を奪われてしまったそうです。
友達にはナイショで続編を次々と読み進め
高校生になると原書にもチャンレンジし、シリーズ全てを読破したとのこと!
大学院時代にはプリンスエドワード島にも行って来たそうです。


それくらいアンの世界に魅了された方でもあり
学者としての視点をお持ちでもある茂木さんの『赤毛のアン』の考察です。
私がぼん~やりと感覚として受け取っていたことを
しっかりと分析した上で言葉にして説明していらして
さすが科学者だなぁ!と思う所もありましたが
私も相当好きで何度も何度も繰り返し読んでいますから
そっくりそのままは賛同できない部分ももちろんありました。
それでもやはり自分とは違った視点でアンの世界を読み解いていくことは
大変興味深く楽しいものでした。

タイトルにもあるように
赤毛のアンには人が幸せに生きるためのヒントが沢山ちりばめられています。
でも、そういった部分を拾いながら読むかどうかは読み手の受け方次第なんですね。
茂木さんはとても上手にそれらを受け取り、更に読者に分かりやすく説明しています。

・・・・・幸せに生きる秘訣(これは一部です)・・・・・

<運命を受け入れる>
 ここで言う運命とは、逃れられない人生の”重み”を受容するということではなく
 等身大の自分を受け入れることであると書かれています。
 つまり、今目の前にある人生を自分の生きる土俵として受け入れるということです。
 その中で最大限の幸せを目指して生きることを指しています。

<日常の中に潜む”小さな奇跡”に気づく>
 奇跡というと、”常識では到底あり得ないと考えられている事が起きる事”と定義しがちですが
 茂木さんは日常生活のあらゆる瞬間に沢山の奇跡が潜んでいて
 それらに気づけるかどうか、そしてどれだけそういった日常の奇跡に感動できるか・・・
 そこに幸せのカギがあると書かれています。
 
 このように奇跡を定義すると、私達が生きていることがまず奇跡なんですよね。
 奇跡だらけの中で生活している私達なのですね(*^^*) 
 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

アンの世界を読み解く中で
茂木さんの考察は、多岐にわたり広がりを見せています。
私がこの本を読んで一番印象に残ったのは
常に世界を意識して仕事をしていく中で
自分はどこを拠点にして生きるべきかとずっと考え続けてきたという
茂木さんの出された結論でした。

「日本にいて世界と戦う」

それは、無理をして西洋社会に溶け込もうとするのではなく
日本人である自分の運命を真正面から受け入れ
連綿と受け継がれ築かれてきた日本文化の上にさらに高みを目指して
価値を創造していこうという姿勢で生きることだそうです。
とても共感しています。

”運命を受け入れる”とは
自分に与えられている条件を強みに変えると腹をくくり
それも含めた”自分らしさ”を最大限に発揮して生きると決心することでもあるのだなと
茂木さんの出された結論を読んで思ったのでした。

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心の居場所を探しに [本]


心の居場所を探しに

心の居場所を探しに

  • 作者: メアリー・ジョスリン
  • 出版社/メーカー: いのちのことば社
  • 発売日: 2001/03
  • メディア: 単行本


先日図書館で出逢った本です。 
何か素敵なことが起こるのではないかと いつも心をどこか遠くへと向け続け 
実際にそこへ向かおうとした女の子のお話で
作者が自分の子供達のために書いたのだそうです。

現状とは違う生き方に憧れて幸せの条件付けをしてみたり
今ある幸せを見逃してしまいがちな私達に
あなたが望む生き方は いつでも何処ででもできるよ 
と気づかせてくれます。
優しいタッチのアリソン・ジェイさんの絵がとても美しく
静かな余韻を味わえる素敵な物語でした。

・・・・・・・・・・・・・・・

「これから先、手に入れられるものなら今ここにもある。 
 今ここにないものはどこにもない」

誰が言ったか思い出せなくて気持が悪いのですが
確かこんなニュアンスの言葉があったと記憶しています。
この物語を読んで、この言葉を思い出しました。

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ことりをすきになった山 [本]


これは
ずっとひとりぼっちでそこに在り続けた岩山と
小鳥のジョイの出逢いからはじまる 
ながいながい年月のものがたり・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ずっと生命あるものの温もりを知らずにいた山は
ある時 自分の元にひと休みしに立ち寄ったことりと出逢い
ことりの爪に掴まれる感覚や うずめる身体の柔らかさとあたたかさを感じ
全てが初めての体験でびっくりした。

”ずっとここに居て欲しい” と願う山にことりは 
「ここには水も食べ物もないからそれは出来ないけれど、次の春にまた来ます」
そう言って歌を歌い、飛び去ってしまう。

ひと時であっても、生命あるものと触れ合ってしまった山は
それを知らなかった時よりも一層寂しさを感じてしまう。
そして次の春を心待ちにし ジョイに再会する度に同じことを頼んでみる
「どうしてもここにずっと居てもらうわけにはいかないのかい?」と
でも、返ってくる答えはいつも同じだった。

山はずっとそこに在り続けることが出来るけれど、鳥には寿命がある。
ジョイは自分の娘にもジョイと名付け、山のところへ行くように伝える。
だから代は替わっても 毎年毎年ジョイはやってくる。
けれども、いつも決まって少しの間休んでは 歌をきかせて飛び去ってしまう。

山はどんどん寂しさを募らせた。100回目の春にジョイを見送ると 
とうとうこらえきれなくなって心臓を爆発させた。
固い岩が砕け、山の奥底から涙の川が滔々と流れ出した。
次の年、ジョイが来ても黙って泣き続ける山
どうせすぐにジョイはいなくなってしまうのだからと・・・

翌年ジョイは 小さな種をくわえてやってきた。
そして、涙の川に近い岩の割れ目に種を植え 歌を歌い、飛び去った。
やがて種から芽が出て成長をはじめるも 山は悲しみに打ちひしがれて全く気付かない。
何度も何度も同じ事が繰り返されるうちに 
山には木が生い茂り 苔が生すようになった。
風に乗って虫たちもやってきた 生命活動がはじまったのだ。

更に時は流れ 
悲しみに沈み、泣いてばかりだった山の痛みも和らぎはじめる。
ふと我に返ると 自分の周りに生命の息吹を感じ、悲しみの涙が喜びの涙に転じた。
今ではいくつもに増えていたせせらぎが荒地を潤し 見渡す限り、一面の緑に変えていた。
すると動物たちも巣を作り出した。

そして次の春 とうとうジョイが種ではなく 
木の枝をくわえてやってきた。
山で巣を作り そこで生活するために・・・


ことりをすきになった山 (エリック・カールの絵本)


これは 悠久の時を感じるものがたり
そして 人間はたったひと時だけ
この地球に間借りさせてもらっている存在であり
自然は私たちが想像できない位永い間 
ずっとそこに在り続けているのだと気づかされるものがたり

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太郎さんとカラス [本]

DSCF3211_2.jpg

・・・前略・・・

ふと私は思い出した。中国の戦線にいた時のことである。
当時、私は現地教育の初年兵で、真冬の、土一色の原野で猛烈な訓練を受けた。
しかしやがて春が訪れ、あたりは緑にそまった。
 
ある日、演習の最中、息もたえだえに走り伏せた。
目の前に、深々と茂った雑草に埋もれて、小さな花が咲いている。
それに鼻先をつきあわせて、私は不意に残酷な思いにうたれた。

小さい、とるに足りない野草。
だが、小さいなりに、身体いっぱいなまめかしく赤く咲ききっている。
野は見わたす限り雑草で、それをおおう青い空はすきとおって、
涯もなく広い天地は、まったく真空である。
 
いったい誰が、何が、この花の小さいながら誇らしげに装った姿を見るんだろう。
私のような兵隊が、たまたま演習で身を投げ出したからこそであるが。
でなければ何ものにも気づかれずに、命を終わってしまうのだ。
 
目的のない可憐さ、その誇り。私には絶対的な感動であった。
些細なことだ。しかしあの花の美しさは、残酷に思い出に食い入っている。

岡本太郎 『残酷さについて』より一部抜粋

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

岡本敏子さんの名前で出版されている 『太郎さんとカラス』 という本を読んだ。
岡本太郎さんはカラスと一緒に暮らしていたことがあるのだという。
しかし「カラスを飼っているのですか?」と人から聞かれれば
「飼ってないよ。一緒に居るだけだ」と答えていたそうだ。
”カラスのどんなところに惹かれるのか” という話はいかにも彼らしい。
「馴れないからいい」と言うのだ。
かわいがられるときは平気でかわいがられるが
決して媚びる事をしないところが魅力なのだそうだ。

敏子さんによれば
”生き物としての切実な共感が(太郎さんを)カラスに寄り添わせたのだろう”ということだが
カラスに向けた表情が実に柔らかく
ガア公(カラスの名前)が本当に愛しくて愛しくて仕方がないのだと
その優しさに満ちたまなざしが雄弁に語っているのだ。 
それらの写真を見ていたら 心に温かいものが流れ込んでくるのと同時に
どういう訳か 切なさも感じてしまった。

冒頭のエッセイは、この本の中の一編である。
一見カラスとは関係ないように思われるが
その在り方に彼が深く共感しているという点で相通ずるものがあると感じ
特に強く印象に残った。

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ボディコピー その二 [本]

5/28の記事で『何度も読みたい広告コピー』という本のことを書きましたが
何故その本が目に留まったかと言うと
某化粧品会社から送られてくる情報誌の巻頭コピー(?)が
以前からとても気になっていたからなのです。

視点が素敵だなぁと感じたり
さりげなく前向きにさせてくれるものだったり・・・
心に響く言葉がそこにはあるので毎回楽しみにしています。

DSCF3112_2.jpgDSCF3117_2.jpg

巻頭を飾る写真に添えられたちょっとした言葉に
会社の姿勢が顕れているような気がして
ずっといいなぁと思っていました。

そしてこの情報誌、素敵なのは巻頭の言葉だけではないのです。

・美容・健康についての特集
・どの世代にも役立つ暮らしの情報
・エッセイ(数回ごとに書き手が変わる)
・シリーズ「時代を生きた女たち」(毎回一人の女性の生涯にスポットを当てて紹介)
・お料理レシピ
・エクササイズ
・読者からの投稿
・製品カタログ

ざっと紹介するとこんな内容でとても読み応えがあります。

私は企業が作ったフリーの情報誌で宣伝が前面に出ていないものを見たことがなかったので
はじめて手にした時はとても感動しました。
あくまでも前面に出ていないというだけで
特集記事はセールスにつなげるためのものであることは言うまでもありませんが
言葉ではちょっと言い表しにくいけれども、何か一味違うと感じるのです。

何が違うのだろう?と考えてみたのですが
会社として売りたい製品の紹介だけで記事を構成するのではなく
楽しんで読んでもらえる誌面作りに力を入れているからではないか
どんな記事が読む人の役に立ち喜ばれるか
どの年代にも楽しんでもらえる記事にするにはどうしたらいいか等
読み手目線で考え、編集しているからではないかと思います。

そしてそれだけでなく
記事には会社が大切にしている想いが反映されているのでは?とも感じています。
これは私が記事から受ける個人的な感想ですが…
もしそういう視点でものづくりをしていたとしたら
出来上がった冊子と共に作り手(会社)の想いも一緒に届き
何かが違うと感じさせても不思議ではないなと思ったのです。

そして、冊子そのものの奥に込められている会社の理念や真心が読み手の心を開き
”この会社が作ったものなら信頼できる” という想いを抱かせ
結果、製品を買おうという気持にさせるのではないかと思います。

言うなれば、この冊子は一冊まるごとが会社そのものを映し出す
ボディコピーの一種(そのような役割を果たすもの)なのではないか?と
『何度も読みたい広告コピー』を読んでみて思ったのでした。



追記:結論はボディコピーの定義から完全にはずれていますが
   私個人が感じたこととして読み流して下さいm(_ _)m
   

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